(仮)

 美雪が姿を消してから一週間が過ぎた。
 警察は表面上、事件と事故の両面で捜査をしているが、その実情は家出人扱いとなっている。
 美雪が家出をするような理由は特に見当たらない。学校では生徒会長である美雪失踪の噂で持ちきりだ。殆どは根も葉もないでたらめな話しばかりだが、一つだけ耳に引っかかる噂があった。あの真面目な美雪が年上の男性と恋に落ち、駆け落ちしたというモノだった。
 勿論、俺はそんな話を信じてなどいない。しかし独自に美雪の身辺と失踪するまでの経緯を洗い直せば洗い直すほど、不可解な事が幾つも浮かびあがってきた。美雪はここ最近、週末になると誰かと出掛けていたというのだ。街で男と並んで楽しげに歩いている美雪を見たという情報も掴んだ。演劇部に顔を出さなくなり、ミステリー研究会も休みがちになっていた。生徒会での仕事中にも、いつも何か思い詰めているふうだったと親しい友人が証言してくれた。学校の近くで黒塗りのベンツに乗り込む美雪を見たという男子生徒も居た。中には、その車の中で美雪が大人の男性と唇を重ねているのを見たという話しまであった。
 そういえば俺は、ここ三ヶ月ほど美雪と話す事もめっきり少なくなり、週末を一緒に過ごす事もなかった。剣持のおっさんに頼み込まれた事件で忙しくてそれどころではなかったからだが、一緒に下校をする事もなくなっていた。以前には、毎朝起こしに来てくれていた美雪が失踪直前にはパッタリと姿を見せなくなった。どことなく疎遠になっていた気はしてはいたが、それも関係しているのだろうか。
 美雪のおじさん達は自慢だった娘の失踪に憔悴しきって寝込んでしまっている。おばさんの話しによると、半年ぐらい前から美雪にちょくちょく電話が掛かってくるようになったらしい。家の近くに黒い外車が止まっているのをよく見たという。車種はベンツだ。近所の人の話しだと、美雪がその車から降りる所を見たとの事だ。ここでも黒い外車の話しだ。それと失踪する一週間前に美雪は無断外泊をしておじさんに怒られている。美雪の家は厳しいし、真面目な美雪はそれまでそういう事がなかったのだから当然と言えば当然だろう。俺は美雪が怒られる姿など想像する事も出来ない。もしかしたらそれが原因で家出をしたのではないかと、おじさんは気を病んでいる。しかし果たして、怒られたぐらいで美雪は家出をしてしまうだろうか。


 その日、学校での聞き込みを終えた俺は疲れた足取りで家の門扉をくぐる。すでに夕方を過ぎていた。途中警察署にも寄ってみたが、目新しい情報は特になかった。どうやら警察は本気で捜す気がないようだ。どうせ、気難しい年頃の少女が家出をするなど珍しくもないぐらいに考えているのだろう。
 俺は何気なくポストを確かめる。いつものダイレクトメールに混じって茶色い封筒があった。油紙で作られたような目立つ封筒だった。手にしてみると表には、俺の名前と住所だけが書き込まれていた。他には何も書かれていない。差出人は不明だ。でもそれだけで十分だった。
 俺は急いで部屋に持ち帰る。カッターナイフで慎重に封を開ける。中には何枚かの手紙が入っていた。その内の一枚に目を走らせる。やはり美雪からの手紙だった。手紙は美雪らしい形式ばった文言と挨拶ではじまっていた。丁寧な、まるでお手本のような美しい書体で書かれている。心配しているであろう両親を案じる言葉に続いて、突然家を出た事に対する謝罪の言葉が重ね重ね書き綴られている。
 そうして、『まず、そのおじさんとどうやって出会ったのかから話したいと思います』という切り口部分で俺は、自分の心臓が高く脈打つのを感じる。思わず唾を飲み込んだ。
 一旦手紙を閉じる。そうして俺は、美雪の姿を思い浮かべてみる。物心がつく以前から一緒に育ってきた美雪の制服姿だ。成績は常に学年トップ、学校では生徒会長を務め、教師からの信頼も厚い美雪の姿だ。優等生という形容詞がまさにピッタリだった。パッチリとした愛らしい瞳に、黒くて長い髪が綺麗でカチューシャが良く似合う。最近は身体つきもグンと大人びてきていて、見ている俺の方が目のやり場に困る事もしばしばあった。控え目で清楚な美雪を彼女にしようと、密かに狙っていた男子達が多かった事を俺は知っている。体育の時間などに見る美雪の肌は雪のように白くてとても眩しかった。プールサイドを水着姿で歩けば、男子達の視線を釘付けにしていた。
 急に口の中が乾いてきた。考えて見れば俺は朝から何も食べていない。はやる気持ちを落ち着かされるように台所から冷えた麦茶を容器ごと持ってくる。コップに注いで机の上に置く。外では夜の帳が下り始め、アブラセミが鳴いていた。俺はゆっくりと手紙を開いた。



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 まず、そのおじさんとどうやって出会ったのかから話したいと思います。
 それは半年前に起きたある事件の事でした。殺人事件の容疑者にされたおじさんは、真犯人の巧妙な罠にかかり危うく犯人にされかけていたのです。
(おじさんの名前は迷惑がかかるといけないので伏せておきます。はじめちゃんのことだからこの事件のこともおじさんのことも覚えてると思うし)


 なんとかはじめちゃんの推理によって事なきを得たのですが、その事に感謝しきりのおじさんはどうしてもお礼がしたいからと、はじめちゃんの幼馴染であるわたしに何度も頭を下げられて、困り果てたわたしは、はじめちゃんの代わりに自宅の電話番号を教える事にしました。そうする事が最も良い選択だと思えたのです。それがおじさんとの不思議な交流のはじまりでした。
 それから毎日、おじさんから電話が掛かってくるようになりました。おじさんは、はじめちゃんに何かお礼をしたそうですが、それからも電話は掛かってきました。電話は大抵、わたしが学校から帰った時ピッタリのタイミングで掛かってきました。お父さん達が寝た後、夜に掛かってきた事もあります。とにかく毎日電話は掛かってきたのです。
 たぶんおじさんは、わたしがはじめちゃんにかまってもらえず寂しそうにしていたのを気に留めてくれたのだと、その時はそう思っていました。最初は遠慮がちに当り障りのない話をしていたわたしですが、次第に打ち解け、その日学校であった事やテレビで見た事、生徒会長としての仕事、演劇部での演目やミステリー研究会での出来事、はじめちゃんが解決した事件の事を話すようになりました。話題の大半は、はじめちゃんの事だったと記憶しています。
(ごめんね、はじめちゃんを話しのタネにしちゃって。でも分かって欲しいの。わたしはどうしてもはじめちゃんの事しか話せないから……)


 わたしは他愛のない事を話しては、最後には決まりごとのように、はじめちゃんが事件に熱中してばかりで、話したり勉強したり一緒に過ごす時間が取れない事を愚痴っていました。はじめちゃんは今日も事件で居ないのとか、はじめちゃんの頭の中は推理でいっぱいでわたしが入り込む余地なんてないのとかです。正直わたしは、殺人事件の犯人を捜したりするより、はじめちゃんと一緒に出かけてウィンドウショッピングや映画を見たいとずっと思っていました。
(そういうのって不満に思っちゃだめなのかな。わたしだって普通の女の子なんだよ。こんな気持ち、はじめちゃんは気づいてくれかったよね)


 そんなふうに電話で親しく話している内にわたしは、おじさんと外で会うようになりました。知り合ってから三ヶ月後ぐらいの事です。それまでわたしは、おじさんと外で会うような事があるとは想像もしていませんでした。おじさんに対して、なんら特別な感情を抱いていなかったからです。わたしにとっておじさんは、年の離れたよき相談相手といった感じでした。友人感覚と言ってもいいかもしれません。
 はじめは美術館や博物館に行ったりして、普通に電話で話す事をお話ししたりしていました。映画を見に行く事もありました。見たい映画も美術展もない時には、雰囲気のいい喫茶店でおしゃべりをして街を並んで歩いたりしました。
(ケーキと紅茶の美味しい喫茶店をおじさんはいっぱい知っていて、ここでも話題の中心は、はじめちゃんでした)


 おじさんと出掛ける時には、わたしはとびっきりオシャレをしました。なぜならそういう時ぐらいにしか可愛い服を着る機会がなかったからです。お嬢様っぽいフリルのついた白いワンピースに大きなリボン姿とか、ロングスカート、それに小さなポシェット、時にはちょっと短めなタックフレアスカート姿です。おじさんに合わせて、シックで大人っぽいシルクのブラウスにタイトスカートを着たりもしました。薄いリップクリームも塗ったりもしました。お化粧をするなんてそれまで経験なくて、鏡の前に座っただけでドキドキしていました。おじさんと出掛ける前日には、明日はどんな服を着ていこうかな、どんな服を着たらおじさんは喜んでくれるのかな、おじさんの好きな服はどういう服なのかな、という事ばかり考えていました。そういう事を考えるのはとても新鮮で、とても楽しかったです。相手がはじめちゃんならどれほど幸せだろうとも考えました。
 水族館とか動物園にも行きました。色々な場所に行きました。おじさんはとても紳士的で優しくて、街で素敵な洋服を見つけると値札も見ずにわたしに買ってくれました。綺麗なバラの花束を貰ったこともあります。
(そういう意味では明智さんに似てなくもないけど外見や年齢はゼンゼン違うの。おじさんはあんなに冷たくありません)


 中にはすごく高いブランド物の洋服やアクセサリーもあったと思います。そういう高級ブティックが軒を並べる場所を歩いていたのです。わたしが、「こんな高いもの困ります」って言っても、おじさんはもう買っちゃったからと言って半ば強引に手渡してくるのです。
(男の人からプレゼントされるなんてはじめてだから戸惑ちゃって……でも、ああいうのって値段じゃないよね)


 そんな時には、わたしはいつも不思議に思っていました。おじさんはわたしの目から見てもかっこよくて、会社を経営していてお金持ちなのに、どうしてこうしてわたしみたいなごく普通の女子高生と会ってくれて親切にしてくれるのだろうと……。おじさんは輸入関係の仕事を営んでいるそうです。詳しくは教えてもらっていません。いくら聞いてもおじさんは教えてくれないのです。
 振り返ってみれば、この頃からおじさんの事を意識しはじめていたと思います。親切で優しいだけのおじさんではなく一人の男性として……。おじさんとのデートは知らない事の連続で、とてもとても楽しかったです。
(男の人と二人で映画を見たりするんだからデートって言って間違いないよね)