Baby!!baseball

 私の通っている高校の野球部は、県内でもトップクラスの実力を誇っている。
選手たちはほとんどが県外出身者。つまりスカウトされ連れてこられた英雄の卵。
監督&コーチは、県外の高校から呼び寄せた一流の指導者であり、グラウンドはナイター設備の整った甲子園をそのまま再現したような大きさで、まさしく甲子園球場
練習は、もちろんのこと鬼のように厳しい。朝から晩まで野球漬けの日々。彼女なんか当然作れない。全員丸坊主、そして顔は高校球児らしく若々しく精悍なのだ。
そんな我が校であったが、ここ近年どうしたことか甲子園まで後一歩というところで、決まって敗退していた。
選手、コーチ、練習どれをとっても文句ないのに、何かが足りないらしいのだが・・・
詰まるところ、その正体、私は運だと思う。
エラー、イレギュラーはもちろん、天候、エースの病など野球部には何かしらの運が欠落している。
この運に関しては、いくら私でも、監督でも、コーチでも、選手でさえどうすることも出来ない。
まあ、その不運について更に語るに、
『不運は伝染する。』
ということを私はここ最近知った。
今回、その運のなさは、我が校全体の経営にまで及んでいたらしい。
指がかじかむくらい冷たい冷気が外を埋めていたとある日の早朝、いつも通りの全校集会で躊躇いながら発言された校長先生のお言葉は、私たちにとってあまりにも衝撃的なものだった。
「ええ〜、この学校つぶれます。以上」
どうやらアホな2代目理事長さんが、株で大穴を開けてしまったらしい。
そんな噂が飛び交ううちに、我が校の経営権は他のグループに移ったようで、この上の変化に戸惑いつつも、特別変わり映えのない私たちの学校生活は、そのままゆっくり過ぎていった・・・


                   ☆

 
「香澄、ちょっと放課後、部室まで来てくれないか。」
野球部の監督である若林先生に呼ばれた私は、何も考えずに放課後になって野球部の部室を訪れた。
訪れた私に若林先生は力なく笑いかけていた。
その隣には、むさ苦しい部室に似合わない上物のスーツを着こなした中年男性が立っている。その中年男性は私を見ると笑顔で会釈をして言う。
「どうも、こんにちは。」
習慣化しているのか、その中年男性は挨拶の勢いのまま懐から名詞を取り出し、私に差し出ていた。私も勢いに押されて名刺を受け取ってしまう。


『学校法人時任学園理事長 時任馨』


「はあ」
私は気のない返事のまま名詞を胸ポケットにしまった。
若林先生は俯いた姿勢で一向に動こうとしない。
新理事長は顔に溜まった脂肪を押し上げて作る笑顔でこっちを見ている。
私はこの状況がまるで飲み込めない。
「あんた・・・あっちいっててくれよ。」
部室に響いたのは、若林先生の機械的な声。
時任さんは、若林先生の方見てしばらくたたずんでいたが、やがて顔を上げると私の肩に手をポンッと乗せ、部室を去っていった。


「・・・おまえらなら甲子園いけるよ。」
若林先生の別れ際の言葉だった。
若林先生はその熊のような体に似合わない軽自動車に、荷物をいっぱい詰め込んで、最後は笑って車は発進していった。
駐車場に残された私たち野球部員。
誰かがぽつりと漏らした言葉。
「俺たちどうなっちゃうんだろう。」


                  ☆


翌日・・・
朝早くグラウンドを訪れた私は、早速いつもの通りポカリを作り始めた。
あの時、若林先生が話してくれたには、野球部は存続するとのことだったけれども、監督・コーチ陣がすべて入れ替わるらしい、ということのみだった。
プラスチック容器に水道水とポカリの粉を入れ、蓋を閉じ、激しくシェイクする。
しかし、若林先生・大村ヘッドコーチ等が出て行った昨日になっても、監督・コーチ陣の情報が野球部員には伝わっていない。
「いつ、来んだよ、新任監督・コーチはよ。」
苛立ち募る野球部員からこういう声も飛び出したばかりだ。
こんなこともあって今は、野球部全体が荒れに荒れている。
当初、私の口から監督・コーチ解任の話を聞いた野球部員たちは、監督・コーチ解任反対の嘆願書を作成し、さらに著名運動まで行って、何とか監督・コーチ解任を阻止しようと試みた。
しかし、どれも受け入れてもらえず、さらには新任監督・コーチの名前さえ明かしてもらえない。
数日前、理事長室を訪れた私は、この騒ぎを時任さんに話した。
時任さんは、喋る私の唇に人差し指を立て、こう囁いた。
「大丈夫です。何も心配することはありません。」
何を考えているのかさっぱり分からない理事長に、激昂ますます盛んになりつつある我が野球部。
このままどうなってしまうのだろうか。
そんなことを考えているうちに、50人分の容器に全てポカリを入れ終え、私は近くの錆びたパイプ椅子に腰掛け、余ったポカリを飲むことにした。
あと10分ぐらいでランニングから野球部員が戻ってくる。
それまで束の間の休憩である。
「新田先輩、ポカリでサボりいけませんよ。」
向こう側の部室には、第2女子マネージャーの神宮寺麻代が濡れタオルを絞っている。
もう春だが、濡れタオル絞りはやはりきついものがある。
「へっ、へっ、へ」
私は笑ってポカリをゴクリ、のどが潤っていく。
「これ・・・おいちい。」
・・・・ヘッ。
私は顔を下ろした。
水飲み場には、50本のポカリスウェットが並べられている。
そこのところに一人、ちっちゃな子供が、50本のうち1本のポカリ容器に口を付けて、ゴクゴクと中のポカリをおいしそうに飲んでいた。
微笑むところなのか、注意するところなのか、とにかくあっけにとられて動けない私は、容器を持ったまま惚けるしかない。
ちっちゃな子供は、容器を小さな手で握りしめ、こちらを向いた。
その子は、見た目3歳児くらい。
ふっくら、もちもちっとしたその顔には、クリクリのお目々に不敵な笑み。
なぜか我が校のユニフォームに、ウサギちゃんの涎掛け。
ちっちゃな手には、ポカリの容器がしっかと握りしめられている。
「・・・あっ・・・ねえ・・・君は誰?」
やっと答えられたと思ったら変な質問をしてしまった私。
なぜこんな小さい子が、こんな朝早い山奥の高校に?・・・しかも、うちのユニフォームで?
ボーッとしている頭をフル稼働で考えてみる。
・・・捨て子?・・・教師の子?・・・
「ひざ、いい?」
いつの間にこんなそばに。
思わずうなずいてしまった私の腿の上をその子は、ピョンッと飛び乗り、私の体を背もたれにしてくつろぎ始めた。
「ちょっ、ちょっと、待って。」
私はその子の体を両脇に手を添え抱えると、50メートル先の部室まで駆けていった。
「おお〜はやい、ちゅごい、はやい。」
・・・喜んでいるようだ。


                   ☆


「なんなんですか〜、この子は。」
驚いた様子の麻代。
50メートルを全力で駆け抜け、私は乱れた息のまま部室に入り、机の上に抱えていた子供を乗せた。
「せんぱ〜い。」
駆けてきた麻代。
「どうしたんですか、あれ。」
一端部室の外に出た私に、麻代は訊いてきた。
「・・・さあ、なんなんだろうね〜・・・」
私はそーっと部室の扉を開いた。
子供はちゃんと机に座り、ポカリをゴクゴクと飲んでいる。
「とりあえず、ここは私に任せといて。麻代は、もうすぐ戻ってくるみんなに濡れたタオルとポカリをやって。」
走り去っていく麻代を背に、私は薄暗い部室へと入っていった。
子供を目の前にして、どのように質問すればいいか、迷っている私はとりあえず椅子に腰掛けその子に面と向き合った。
「ねえ、お名前は?」
その子はおもむろにポケットから携帯を取り出す。
「ねえ、お名前は?」
私の再度の質問も無視して、メールを打っている。
「う〜んと、じゃあ、お家はどこかな〜」
こんな答えてくれない無意味な質問を繰り返して数分後、部室に駆け込んできたのは麻代、そしてキャプテンの大久謙吾、副キャプテン橘健太、さらには男マネの佐藤裕樹だった。
「新田、これはどういうことなんだよ。」
大久の質問に答えられない私は押し問答するしかない。
「新田さん、これ先生に届けた方がいいんじゃないの。」
「わかってる。」
佐藤が机の子供を持ち上げた。
「俺が持って行くよ、職員室に。」
「・・・そうか。」
どうやら佐藤くんがこの子の担当になりそうだ。
私は気持ちを静めて、佐藤に礼を言った。
「さとう、おろちぇ。」
佐藤の手の中で子供が身悶えてる。
その光景を見て、私はふと思った。
・・・なんで、この子佐藤君のことを知ってるの?・・・
「おまえりゃも、はやくそとでしぇいれつしろ!」
じたばたもがく子供。
私は佐藤君からその子を奪い取ると、机の角に座らせた。
「・・・あなた、・・・何者?」
私の質問にその子は、ジタバタを止め、私の顔を見ると不敵な笑みを浮かべた。
部室のドアが開いて、1年部員が駆け込んできた。
「新しい理事長が、集合かけてます。」
その後、息を整え、私の方を見てさらに言葉を続けた。
「・・・新田先輩の持ってる赤ん坊も一緒に、・・・だそうです。」


                   ☆


「大久、なんで理事長に手を出した。」
私は大久の付き添いで職員室まで呼ばれたのだが、正直大久がやらかした今朝の凶行も気持ち的には分からないでもない。

『前代未聞!監督、赤ちゃん』

「いいネタになりそうですね。話題性も十分、おまけにあのキャラ。十分褒められるものです。でも俺たちのいる野球部に関していえば、これは大問題なことなのはあのバカ理事長もわかっているはず。先生、分かるでしょう。」
「おまえ等の言いたいことはよく分かる。俺だって、あれはおかしいと文句一つ付けたくもなるけどな。だが、如何せん今が時期なだけに、俺も動くことができないんだ。だから我慢してくれ、なっ。理事長もおまえの行動は許してくれるっていうし。」
「いやっ、ぜ・っ・た・い・駄目です。」
去っていく大久を目で追い、ため息をついた三村先生は私の方をみて、困った顔をしていた。<続く>